「反人間中心主義としての「方法」と「AI」、自動ピアノ」
中ザワヒデキ(美術家、人工知能美学芸術研究会、AI愛護団体)
岐阜県美術館に出品中の1997年以降の自作について述べた「文字の意味と反意味 〜文字座標型絵画、五十音ポリフォニー〜」(『ユリイカ』1998年5月号)を、最近再読した。冒頭に鳥の鸚鵡の話が出てくる。そして、その鸚鵡は意味がわかって喋っているのではないとの主張に、私が異を唱えている。鸚鵡と同じく、私だって意味がわかって喋っている訳ではないのではないか、という趣旨だ。ここから20世紀の諸学芸に現出した意味剥奪的事態を「自身が鸚鵡に過ぎないことのソクラテス的再自覚」と述べ、「人工知能=人工無脳=私」と演繹している。前者は「同語反復」として2000年の「方法主義宣言」に直結、後者は間を置いて2016年の「人工知能美学芸術宣言」注8箇所だ。人間非在の自動ピアノの芸術が、両者を媒介している。