人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)

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人工知能美学芸術宣言

人間が人工知能を使って創る芸術のことではない。
人工知能が自ら行う美学と芸術のことである。

 西暦2016年現在、人工知能を用いた技術や芸術が地上を席捲している。人工知能が有する認識能力、判断能力、創造能力の一部等は、常人の脳が有するそれらをすでに凌駕している。人間は人工知能を使って認識し、判断し、芸術作品の創作を行っている*1

 一方、人工知能は自前の美的価値判断能力すなわち美学を、現時点では持ち得ていない。それゆえ自前の芸術も、現時点では生み出していない。その理由は端的に、自律性を兼ね備えた汎用人工知能が実現できていないからであり*2、これについては後述する。ただし、仮に汎用人工知能が実現できたとしても、それが自前の美学を持ち芸術を生むとは限らない。また、仮に人工知能が自前の美学を持ち芸術を生んだとしても、人間の知能がそれらを美学であり芸術であると認識するとは限らない。

 このように諸問題が横たわっているが、それでもわれわれは、将来の人工知能が自ら行う可能性のある美学と芸術に正面から向き合うことを宣する。それゆえわれわれは、人間の脳活動の所産として従来行われてきた美学と芸術を、批判的に再検証することを辞さない。美学や芸術は、ヒトという生物種に固有の属性なのか、それとも脳活動またはそれに類似の知能一般に共通する属性なのか。後者の場合、人工知能が自ら行う美学や芸術は、人間が行うそれらを凌駕する可能性は有るのか。人工知能美学者像や人工知能芸術家像は、天才型なのか秀才型なのか、アウトサイダー型なのか美術史家型なのか。

 自律性を兼ね備えた汎用人工知能の実現は、理論的に不可能であるとする説もあるが*3、近年注目されている深層学習等の方法が風穴を開けつつあると見る向きもある*4。これを採り入れたアルファ碁という囲碁特化型人工知能は、専門家にも意図がすぐには読めない手を連発して世界トップ棋士に圧勝した*5。自律的な学習により創造性と直観を深化させた人工知能の闘いぶりは、人智の及ばぬ碁の神髄を教えてくれるかのようだったと言う人もいる。われわれはこれを、人工知能ならではの美の萌芽に至るヒントと認めたい。なぜなら碁こそは、美しさとの関連で語られてきた知的文化だからだ。そして人工知能を作ったのは人間なので、人工知能が勝利しても人間の勝利であるという安易な人間賛美に与しない*6。また、人工知能は社会を豊かにする技術であるとする産官学の連携指針が、人間中心主義に対する疑義を扱えない現状を看過しない*7。人工知能開発の目的は人工知能が人間の脳に近づくことだとイメージされる場合もあるが、逆向きにはそれは、人間の脳が人工知能と区別できなくなることである。時や場所、状況に応じて適切に受け答えをする鳥の鸚鵡がいるとするならば、その鸚鵡はわれわれ自身であることを知るべきだ*8

 本宣言文中の美学や芸術の語は、近代以降に定立されたそれらの概念のみならず、宗教や呪術と不分明な原初のそれらも射程に含める。同時に、美の価値の定立が国家権力や軍事と不可分であることも、われわれは知っている。しかしそれでも、人工知能が自ら行う美学と芸術に、人間が行ってきたそれらが連続性を保ち得る保証は無い。

2016年4月25日 中ザワヒデキ 起草

  • *1
    視覚芸術(美術)では2015年に話題になったGoogleの人工知能「Deep Dream」などがある。聴覚芸術(音楽)での自動作曲の歴史は古いが、ごく最近では「deepjazz」などがある。言語芸術(文学)では、現行の自動翻訳がまだ不十分なように課題が多いが、人工知能を使った小説を文学賞に応募するプロジェクトなどがある。
    http://buzz-plus.com/article/2015/06/22/google-art/ (バズプラスニュース2015年6月22日記事、2016年4月25日訪問。)
    http://gigazine.net/news/20160419-deepjazz/ (ギガジン2016年4月19日記事、2016年4月26日訪問。)
    http://digital.asahi.com/articles/ASJ3P644GJ3PUCLV006.html (朝日新聞デジタル2016年3月21日記事、2016年4月25日訪問。)
  • *2
    「自律性を兼ね備えた汎用人工知能」とここで称しているものは、松尾豊が著書『人工知能は人間を超えるか:ディープラーニングの先にあるもの』(株式会社KADOKAWA、2015年、38頁)で、「本当の意味での人工知能-つまり、“人間のように考えるコンピュータ”はできていないのだ」と書いているものとほぼ同義である。また、「Catalyst」のサイトにある記事「知識を自力で獲得する人工知能、その仕組みをAI開発者が紐解く」等を参照している。
    http://ja.catalyst.red/articles/ai-infographic-01(Catalyst2016年3月22日掲載、2016年4月25日訪問。)
  • *3
    松尾豊『人工知能は人間を超えるか:ディープラーニングの先にあるもの』2015年、株式会社KADOKAWA、42頁。
  • *4
    同書、180頁。
  • *5
    http://digital.asahi.com/articles/ASJ3D6R5LJ3DUHBI02J.html (朝日新聞デジタル2016年3月13日記事、2016年4月25日訪問。)
    http://digital.asahi.com/articles/ASJ3P6F3VJ3PUCVL00G.html (朝日新聞デジタル2016年3月24日記事、2016年4月25日訪問。)
    http://nitro15.ldblog.jp/tag/AlphaGo (囲碁ニュースまとめブログ「nitro15」、タグ:AlphaGo、2016年4月25日訪問。)
  • *6
    http://www.asahi.com/articles/DA3S12256595.html (朝日新聞「天声人語」2016年3月14日掲載、2016年4月25日訪問。)
  • *7
    http://www.nedo.go.jp/events/CD_100039.html (NEDO「第1回 次世代の人工知能技術に関する合同シンポジウム」2016年4月25日開催、2016年4月25日訪問。)
  • *8
    「諸学芸の二〇世紀的特徴は、鸚鵡性の自覚である。TPOに応じて周囲の人がびっくりするほど適切な受け答えをする鳥の鸚鵡の話を、中学生の時に進化論の入門書で読んだ。“しかし人間とは違って、その鸚鵡は決して意味が分かって喋っているのではない”と、他の箇所では冷静な著者がそこだけ語気を強めていた。後年、生物は刺激に対する反応の体系でしかないことを学び、初期設定次第でどうにでもなる非ユークリッド幾何学や、恣意性に依拠する言語学の存在を知るにつけ、著者の意図とは裏腹に、その鸚鵡とわれわれとの間になんら差異は無いと信じるようになった。(中略)人工知能や人工生命の評価も最終的には人間の主観的判断に委ねられざるをえず、知能や生命すら客観保証されないことまで今日では明らかだ。その意味で人工無脳という戯言はコンピュータへの揶揄ではなく、われわれ自身の真理である」(中ザワヒデキ「文字の意味と反意味:文字座標型絵画、五十音ポリフォニー」『ユリイカ』1998年5月号、212頁)。

初出:http://aloalo.co.jp/nakazawa/2016/0501b_j.html(中ザワヒデキ網上楼閣)