人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)

第1回AI美芸研
講演:中ザワヒデキ

以下のページは、AI美芸研スタッフが、勉学のために文字起こししたものです。 講演の内容をできるかぎり再現しようとしたものですが、誤謬があるかもしれず、講演者の意図と異なる可能性もあります。 公開については、講演者から校正や御確認を頂いているものではなく、あくまでAI美芸研スタッフに責任があります。 ご了承の上、ご覧ください。

(文字起こし:平間貴大、校正:トモサカアキノリ)

人工知能美学芸術宣言について:反芸術の立場から
中ザワヒデキ(美術家)

中ザワヒデキ:
人工知能美学芸術研究会発起人代表をしております中ザワヒデキと申します。本日は皆様お集まり頂きありがとうございます。第1回目の研究会ですので進行の不手際などもあるかもしれませんがどうぞよろしくお願いします。

人工知能美学芸術研究会の発足の経緯についてお話することで開会の挨拶としたいと思います。人工知能、今とても流行っている状態なんですけれども、毎日、新聞あるいはメディアを騒がせているような状況です。人工知能という言葉で皆さんが意味する所もかなりいろんな意味合いで使われているなと思います。それも含めてブーム状態だっていう。それは人工知能の研究の人達にとっては第三次AIブームなんだそうですが、第三次AIブームの中でも特にここ数年、2012年にディープラーニングという手法が出てからいっそう加速されて、さらに今年の3月の3日4日9日とかその辺の時間だったかと思いますが、ご存じアルファ碁が韓国人棋士イ・セドルに勝った。そのことでもブームに拍車がかかり、さらに4月25日、日本だと三省連携ですね、総務省の大臣、文科省の大臣、それから経産省の大臣が三者握手をして、シャッターチャンスといった感じで写真を撮らせるというパフォーマンスが行われるといった状態になっております。その影響でいろんなところで人工知能の研究会だとかハッカソンですとかが催されている。その煽りの一つとしてまさにできたのが今回なんですけど、私がアルファ碁のニュースによってそれまで漠然と持っていた人工知能に対する興味──私は美術家ですが、人間の知性というものが計算でしか無いのではないかという方向性の考えの持ち主だったのですが──そこからこのニュースを面白く見まして、人工知能を美学あるいは芸術の方面から、今の現状に不満を持ちまして、その不満をきっかけにむしろきちんとしたことを考えようということで人工知能美学芸術宣言というものを起草しました。それを4月25日に起草して、知人や興味を持って頂けそうな方、あるいはその知人から紹介していただけた方などにメールで送りまして、こういった研究会を立ち上げたいという事をお知らせしました。最初多くて20人集まれば良いかと思ったのが28名の発起人を集めることができました。宣言はウェブサイトのトップの頁から見る事ができます。発起人はあいうえお順で並んでいるのですが、これは我々の公式ページで見る事ができますので後で見ていただければと思います。

人工知能というと、人工知能を使った芸術はどんどんできているんですけれど、それだけではなく、人工知能自身が考えたりすることができるのか。そこをきっかけとしている状態です。宣言についてはこの後の僕の講演の時にお話したいと思います。

当会は会員制とはせず、人工知能美学芸術宣言に賛成か不賛成かを問わず、これを布石の一つとして賛同してくださった発起人と共に、5月1日に宣言をメール配信しました。具体的な活動内容としては、今回が初めてとなりますけれども、こうした研究会を行ったり、facebookあるいはTwitterなどのSNSの場を設けて、美学、芸術、人工知能をテーマとしたものを発信したいと思います。どうしてかというと、人工知能、あるいは機械といいますと芸術とは最も遠いものなのではという風な考え方も一方ではあり、あるいは人間が考えることは機械では代替できないというような考え方も一般的にあったりします。

しかし逆に人工知能の研究者は知能は元々計算に過ぎないのではないかという考え方を持って研究していらっしゃる方もいる。テクノロジーの進歩と芸術の関係と言いますと、例えば写真が登場して、それまで美術では肖像画ですとか、現実にある風景ですとか、そういった物を描く技術、テクニックが美術だった訳ですが、写真というテクノロジーが登場すると、写真の方が優れているわけですから、アーティストが不要になるといった事があったわけですね。ただしアート側はそのとき、写実的なものはむしろテクノロジーに任せ、そうではなく美術としての美術、芸術至上主義という言葉がありますが、美術そのものとは何かを問うて、例えば抽象絵画などを発展させてきた。そういったような経緯があります。ところがそのテクノロジー自体が最後、知能の面まで行くとどうなるか。機械の持つ知能自身が抽象画を、あるいは「これは美しい、これは美しくない」、美しいものは何であるかというものを機械が判断し、自ら行うようになったらそういった今までの芸術とテクノロジーの関係も壊れてしまうに違いない。そういった所を起点とした提言をこの研究会からしていければという風に思っています。