人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)

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AI美芸展
「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら」

  • 記録ページ
  • 2019年7月22日(月) - 10月7日(月)
    The Container、東京、中目黒
  • S氏、N氏は実在する。S氏はN氏に「指示書」に基づく代作を依頼し、N氏はゴーストライターとして作曲を完遂していた。一方でS氏は自らが全聾であり、自身の内から一音符一音符を紡いだと称していた。生み出された「交響曲第1番」は、ごく少人数からの嫌悪と、圧倒的多人数からの賞賛と感動と涙に包まれていたが、ある時、N氏は自らがゴーストライターであったことを名乗り出て、問題となった。
  • さて、AI美芸研としてはこれを民事事件として扱わない。
    「S氏がもし人間の作曲家にではなく、AIの作曲家に代作させていたとしたら、何がどのように問題か、または問題はないのか」と問いかける。N氏の才能はAIでは代替できないとの議論も可能だろうが、その一方で、S氏の「指示書」自体の創作性や、AIという他者または技術を想定することにより顕在化する、作品と人称性の問題にも斬り込めるはずだ。
  • たとえば画家ヨハネス・フェルメールは、カメラ・オブスクラという光学機器を使用して絵を描いていたとされる。記録や証拠はないが今ではこれが通説であり、それによって作品価値が落ちることも考えられない。しかし当時は、作画の道具としてのそうした機器は恥ずべき「虎の巻」であり、その使用は画家としての技量の無さの露呈として、ひた隠しにされていたのではないか。フェルメールだって、正確なデッサンから正攻法で絵を描き起こしているのだと周囲に詐称していたかもしれず、だとすれば、S氏の詐称との距離はいかほどであろうか。
  • カメラ・オブスクラ自体に創作性があるとは、今では考えにくい。指示書から楽譜を生成するN氏のようなAI作曲家が実現できたとして、その創作性はどうなのか。むしろいきなり指示書を書くS氏のようなAI作曲家のほうが、創作性がありやしないか。いやそれ以前に、S氏のようなAI作曲家なんて、実現できるのか。

展覧会概要

  • 【展覧会名】

    • AI美芸展「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら」
  • 【出展作家】

    • 人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)
  • 【展覧会期】

    • 2019年7月22日(月)- 10月7日(月)/ 火休
    • ※ オープニング・レセプション + 出版記念:7月22日(月)19:30-21:30
  • 【展覧会場】

  • 【開場時間・他】

    • 月 11:00-21:00
      火 休
      水 11:00-21:00
      木 11:00-21:00
      金 11:00-21:00
      土 10:00-20:00
      日 10:00-20:00
      祝 10:00-20:00

    • ※本展は撮影禁止です。
  • 【出版】

  • 【主催】

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